革屋で働いて考えた「良い革」の条件|“強い革”だけが良い革じゃない

20歳のころ、私は靴作り——ハンドソーンウェルテッド製法——を習うために、ある靴工房に通っていました。そこでいちばんよく聞いた言葉が「強い革」です。繊維が詰まっていて、コシがあって、型崩れしない——それが“良い革”だ、と。ある日、私が大好きな繊細なカーフを持ち込んだら、職人さんに一言、「これはコシがないね」。悪気はなく、ただの事実として。でも私は、その柔らかい手触りこそが好きだったのです。この記事は、現場で「良い革とは何か」を考え続けた私なりの、“良い革の条件”の定義です。

「コシがない」と言われた日

私は根っからの革好きで、革屋で1年ほど働いたこともあれば、20歳のころには靴作りを習いに靴工房へ通ったこともあります。その「靴をつくる」現場で体に染み込んだのが、「強い革=良い革」という価値観でした。職人さんにとって、その物差しは絶対的だったのです。

ところが私自身は、手触り重視。ヌバック、クロムなめしのソフトレザー、鹿革(ディアスキン)——柔らかくしなやかな革に、どうしようもなく惹かれます。だから、お気に入りの繊細なカーフを持ち込んだとき、「コシがない」と言われて、少し胸がざわつきました。否定されたわけではない。でも、自分が“良い”と感じるものと、現場の“良い”がすれ違った瞬間でした。

作り手の“良い革”=強い革

まず、職人さんの言う「強い革」は、まったく正しい。その背景には「靴や革製品は消耗品だ」という、作り手の責任感があります。毎日歩く、荷重がかかる、雨に濡れる——その過酷な使用に耐え、長く形を保てること。それが靴づくりにおける品質そのものだからです。

具体的に「強い革」とは、こういう革を指していました。

  • 繊維が詰まっている(密度が高く、へたりにくい)
  • コシ・ハリがある(曲げても戻る、形を保つ)
  • 型崩れしない(長く履いても容が崩れない)

荷重と屈曲に耐える靴にとって、これ以上ないほど理にかなった基準です。だからこそ、柔らかい革は靴の主役にはなりにくい。職人さんの「コシがない」は、靴という用途における、純粋に正確な評価だったのです。

革の質を分解する|部位・銀面・なめし

では、革の“強さ・柔らかさ”は何で決まるのか。現場と勉強で見えてきたのは、革の質はいくつかの軸に分解できる、ということでした。

① 部位|同じ一頭でも、場所で別物

部位繊維の密度向く用途
ベンズ(背・尻)最も密。コシ・ハリ最強靴底・ベルト
ショルダー(肩)中程度。しなやかさあり
ベリー(腹)粗くふっくら柔らかい小物

職人は、一枚の革のどこを、どのパーツに切り出すかを考えます。荷重がかかる場所には密な部位を、手に触れる持ち手には柔らかい部位を。つまり「良い革」は最初から用途とセットで語られるもので、絶対的な優劣ではないのです。

② 銀面(ぎんめん)|表面のキメ

革の表皮にあたる銀面のキメの細かさ、毛穴の整い方も、質を見る大事な指標です。キメが細かく整った銀面は、見た目にも手触りにも上質さが出ます。

③ なめし|硬派のタンニン、しなやかなクロム

そして「なめし」。ここがまさに、強さと柔らかさの分かれ道です。

  • タンニンなめし:繊維が締まり、コシ・ハリが出て、型崩れに強い。経年変化(エイジング)を楽しめる。=作り手の言う“強い革”寄り。
  • クロムなめし:柔らかくしなやかで、軽く、発色も豊か。水にも比較的強い。=私の好きな“心地よい革”寄り。

どちらが上、ではありません。なめし別・動物別の違いは レザーの種類と特徴の完全ガイド にまとめていますが、要は「特性が違う」だけ。私が惹かれるクロムのソフトレザーやヌバックは、靴の物差しでは“弱い”けれど、別の物差しでは紛れもなく良い革なのです。

「強い=良い」は一面でしかない

「コシがない」は欠点ではなく、特性。良し悪しではなく、向き不向き。
靴の世界の“強さ”という物差しを、すべての革に当てはめると、最高に心地よい革まで“格下”にされてしまう。でも、革の良さは強さだけでは測れません。

その好例が、私の大好きな鹿革(ディアスキン)です。鹿革は超極細の繊維が絡み合い、カシミヤのような柔らかな手触りと、高い通気性を持ちます。一方で、私が自分の鹿革を使っていて実感するのは、引き裂き(割け)には弱いという弱点があること。正直に言えば、鹿革は「強い革」の物差しでは決して高得点ではありません。
でも、それは欠点ではなく特性です。手袋や衣類、肌に触れる小物のように、引き裂く力がかからない用途を選べば、これ以上ない心地よさを発揮します。古くから肌に触れるものに鹿革が選ばれてきたのには、ちゃんと理由がある。柔らかさも、そして“割けやすさ”すらも、用途さえ選べば価値に変わるのです。

手触りの良さ、しなやかさ、軽さ、通気性、経年変化、纏ったときの心地よさ——これらはすべて「革の良さ」です。強さは、そのうちのひとつの軸にすぎません。

柔らかい革が“格下”に見られる理由

それでも世の中では、「丈夫=高品質」「硬くてコシがある=本物」という物差しが、いまも強く効いています。タンニンなめしのヌメ革やブライドルが“格上”で、クロムのソフトレザーや起毛革はどこか“格下”——そんな空気を感じたことがある人も多いはずです。

これは、作り手・売り手の物差し(耐久性で語るのが分かりやすく、説明もしやすい)が、そのまま使い手の世界に持ち込まれてしまった結果だと、私は思っています。でも、作り手にとっての“良い革”と、使い手にとっての“幸せな革”は、必ずしも同じではない。毎日触れて、心地よくて、愛着が湧く——その革があなたにとって良い革なら、それでいいのです。

持論|良い革の4つの条件

そこで、現場を経験した私なりに「良い革の条件」を定義してみます。強さという一軸ではなく、4つの問いで捉えるのが、いちばん誠実だと考えています。

  • ① 用途に合っているか。靴やベルトならコシと耐久。鞄の持ち手や手袋、衣類、小物なら柔らかさやしなやかさ。用途に合うことが、第一の“良さ”。
  • ② 素材としての質があるか。軸は違えど、繊維の詰まり・銀面のキメ・なめしの丁寧さに“雑な革”と“質の高い革”の差は確かにある。
  • ③ 仕上げに嘘がないか。厚い顔料で欠点を塗りつぶしていないか。革本来の表情を活かしているか。誠実な仕上げかどうか。
  • ④ あなたの感性に響くか。手に取って心地よいか、ずっと触れていたいか。最後はここ。あなたが愛せる革が、あなたにとっての良い革。

つまり——絶対的な「良い革」は存在しません。あるのは「あなたにとっての良い革」だけ。私にとってそれが、ヌバックであり、クロムのソフトレザーであり、鹿革だった、というだけのことなのです。

よくある質問(FAQ)

Q. 結局、いちばん良い革はどれですか?

「いちばん」は用途と好みで変わります。靴なら繊維の詰まったタンニンなめしの革、肌に触れる小物や衣類なら鹿革やクロムのソフトレザー、というように、目的に合うものがあなたにとっての最良です。

Q. 柔らかい革は長持ちしませんか?

一概には言えません。たとえば鹿革は引き裂きにはやや弱いものの、通気性や耐湿性に優れ、肌に触れる用途なら長く心地よく使えます。要は「その用途でどんな強さが要るか」次第で、柔らかい=短命とは限らないのです。

Q. ヌバックとスエードは違うものですか?

違います。ヌバックは革の表面(銀面)を起毛させた革で毛足が短く比較的丈夫、スエードは裏面(床面)を起毛させた革で毛足が長くデリケート、という違いがあります。

おわりに

「コシがない」と言われたあの日から、私はずっと「良い革とは何か」を考えてきました。たどり着いたのは、物差しを一つにしない、というシンプルな答えです。強い革には強い革の、柔らかい革には柔らかい革の良さがある。作り手の基準を尊敬しつつ、使い手としての自分の「好き」も、堂々と信じていい。革が好きだからこそ、誰かの一つの物差しに縛られず、自由に革を楽しんでほしいと思っています。