AIが進むほど、革は強くなる|情報がタダになる時代に「手触り」だけが残る理由

革を売っていた頃、忘れられない光景があります。お客さまが革に触れた瞬間、ふっと表情がやわらぐ。理屈で選んでいたはずの人が、手のひらの感触ひとつで「これにします」と言う。実は私自身がそうです。写真を何枚見ても決めきれないのに、実物を手に取った途端、匂いと手触りに掴まれて、もう手が離せなくなる。

AIがこれだけ進む時代に、革のような「古い素材」はどうなっていくのか。結論から言うと、私はむしろAIが進むほど、革の価値は上がると考えています。今日はその理由を、現場で見てきたことと、すでに他の世界で起きている事実を重ねながら書きます。

手に取った瞬間に伝わる質感は、画面の中には存在しない

目次

革に触れた瞬間、人の表情が変わる

革の販売をしていて一番強く記憶に残っているのは、売上の数字ではなく、お客さまの「表情」でした。スペックの説明をどれだけ重ねても動かなかった人が、革を手に取った瞬間に目尻がゆるむ。指先で表面をなで、鼻先に近づけて匂いを確かめ、「ああ、いいですね」と小さくつぶやく。その一連の動きの中で、もう心は決まっているんです。

これは私が一消費者としても痛いほど分かります。ネットの写真を何十枚と見比べても、最後の一歩が踏み出せない。ところが店頭で実物に触れた瞬間、手触りと匂いに理屈ごと持っていかれて、気づけば手が離せなくなっている。情報をいくら積み上げても起きなかったことが、たった一度の接触で起きる。革という素材は、そういう力を持っています。

AIで「革の情報」はタダになる——これは構造の問題

一方で、冷静に見ておくべき現実もあります。革の「知識」や「情報」は、これからどんどん価値を失います。素材の種類、なめしの違い、お手入れの方法、ブランドの比較——こうした”調べれば分かること”は、AIに聞けば数秒で、しかも丁寧にまとまった答えが返ってくる時代になりました。

これは、検索流入や情報量で勝負してきた革メディアやネットショップにとって、静かですが深刻な変化です。海外でも、AIが革・手工芸の領域に与える影響は「情報提供の自動化」として既に議論が始まっています。大事なのは、これを誰かの努力不足のせいにしないことです。情報がコモディティ化するのは、個人の問題ではなく構造の問題。だからこそ、戦う土俵そのものを問い直す必要があります。

すでに答えは出ている——レコードが教えてくれること

「デジタルが極まると、人はかえって”実物”に金を払う」——これは革の世界だけの希望的観測ではありません。すでに別のジャンルで、はっきりと数字に出ています。アナログレコードです。

サブスクで音楽が無料同然に聴ける時代に、日本のアナログレコード生産額は2025年に約84億円まで伸び、80億円超えは実に37年ぶり。しかも5年連続のプラス成長です。生産枚数で見れば、底だった2009年からおよそ33倍という伸び方をしています。

注目すべきは、これが「懐かしむ高齢層」の現象ではないことです。米国では購入者の半数以上が35歳未満。デジタルで育った世代こそ、ジャケットを手に取り、針を落とすという”手間と所有の体験”にお金を払っています。

音源そのものはタダで手に入る。それでも人は、手触りと所有の体験に対してお金を払う。情報が無料になるほど、”実物の体験”に価値が移る——レコードは、その仮説をすでに証明しています。

なのに革業界は、AIが一番得意な土俵で戦っている

ここで、もどかしさを覚えます。革は本来、実物・手触り・匂い・経年変化という、レコード以上に強い”身体の価値”を持っている素材です。それなのに、売り場やネットの多くは、いまだに「スペック・機能・価格」で勝負している。何ミリ厚で、どんな金具で、いくら安いか——。

言い換えると、AIが一番得意な「情報の比較」という土俵に、わざわざ自分から上がってしまっている。情報量と価格でAIや巨大プラットフォームに勝とうとするのは、相当に苦しい戦いです。革が本当に強いのは、そこではないはずなのに。海外のラグジュアリー領域では逆に、「誰がどう作ったか」という人の手の物語こそが価値だと、はっきり語られ始めています。

視点をずらす——AIは脅威ではなく「最強の引き立て役」

ここで、見方を一段ずらしてみます。多くの人は「AI vs 革」という対立で捉えます。AIに仕事を奪われる、情報で勝てなくなる、と。でも私は逆だと思っています。AIは革の脅威ではなく、最強の引き立て役だと。

世界が均質で完璧なAI生成物——きれいな画像、なめらかな文章、最適化された量産品——で埋め尽くされるほど、人はその対極にあるものに飢えます。むらのある銀面、使うほどに濃くなる色、二つとして同じにならない経年変化。AIには絶対に再現できないこの”ノイズ”こそが、これから希少資源になる。背景が真っ白に塗られるほど、一本の傷が際立つようなものです。AIが進めば進むほど、革の不完全さは「欠点」から「価値」へと反転していきます。

これからの革の勝ち筋は「誰が・どう語るか」

何年もかけて集めた革の資料。この時間と偏愛そのものが、AIには複製できない

では、これからの革の勝ち筋はどこにあるのか。私の見立てはシンプルです。情報量でも価格でもなく、「誰が・どんな実体験で・どう語るか」。この三つに尽きます。

一般論の手入れ方法は、もうAIが完璧に答えてくれます。でも「1年売ってみて、実際にお客さまのどんな反応に立ち会ったか」「自分が消費者として、どの瞬間に財布の紐がゆるんだか」——この一次体験だけは、世界中のAIをかき集めても書けません。身体を通った話、偏愛の蓄積、その人だからこその目利き。これらは複製できない希少資源です。私が現場で財布や革小物を売りながら感じてきたことは、革屋で働いて見えた景色として別の記事にも書いていますが、結局そこに行き着きます。

だから私は、アイデアも現場の話も抱え込まずに出していこうと決めています。きれいにまとまった情報を量産するのではなく、この人にしか書けない手触りの話を出していく。それを読んで「分かる」と思ってくれた人と出会い、声をかけてもらう。AI時代のメディアの勝ち筋は、たぶんそっち側にあります。

私は革業界を外から論評したいわけではありません。むしろ逆で、革が好きで、この素材が持つ力を信じているからこそ、苦境の中身を直視したい。そして同じ問題意識を持つ作り手・売り手の隣に立って、AIの先にある革の次の価値を、一緒に考えていきたいと思っています。あなたが革に触れて表情がゆるむ、あの瞬間。あれは、AIがどれだけ進んでも、決して安くならない。

出典

Magazine Leather
PHILE WEB
DIAMOND online
vinyl.com
Classy Leather Bags